『ザ・リング2』

幽霊サマラが、エイダンに憑依し、エイダンの母親であるレイチェルと、生前果たせなかった母子関係を、あらためてやりなおそうと画策する。レイチェルは、これを阻止する。

母親論というか、人生論として、出色。これはホラーではない、というか、人間の魂そのものが、恐ろしい。そういう意味においてなら、この作品はホラー映画なのだ、といえる。

なにしろ、人間なんて、うまれた当初は、本能をプログラミングされた生体機械でしかない。親や、家族や、社会は、子供をしつける、つまり、「魂をこめる」。

子供は、母親に愛着を抱かなければ、生存にかかわる。だから、子は、母を愛する。ここまでは、本能としてのプログラムの範囲なのかもしれない。そして、やっかいなことに、愛しすぎても、まずいのだ。その場合、母親が死ねば、子供も、精神的に死んでしまう。母と子の距離感は、どうあるべきか。これは、人類永遠の課題だろう。

そういう意味でいえば、完璧な人間も、平均的な人間もいない。そういえる。人間が、他人との距離を必要とする。その理由は、ヒトの生存条件にかかわるのだ。本人の自我は、他人にとっては妄想でしかない。この事実は、恐怖を喚起するために、認めがたい。サマラがマックスを殺したのは、要するに、子としての権利を主張したにすぎない。しかし、その権利は、妄想なのである。レイチェルのように、「無情にも」、井戸を塞がなければいけない。

ナオミ・ワッツがレイチェルを演じているので、つい、デビッド・リンチのことを連想した。リンチの映画は、夢が現実に浸食してくる。一方、中田秀夫は、現実の葛藤を、夢において解決させる。この違いが、面白い。そして、たぶん、リンチは、母親論には興味がない。そう思うのだ。