アナログな治安からデジタルな治安へ
経済の話をきいていて不思議に思うのは、細かいことまでお金で購うようになったのって、そうはいっても戦後からでしょ、というのがあるから。
健康保険や国民年金だって戦後の話。
社会のしもじもまでが、自分の収入からなにもかもやりくりするようになったのって、そう前の話じゃないのだ。
とくに趣味や楽しみは、戦前だったら、たいていは自前の工夫であれこれしていたわけだ。庶民だったら釣りとか。囲碁将棋なんか、べつにすべての個人が盤を所有していたはずはない。カメラなんかは戦前は庶民の娯楽ではなかった。ウォークマンやアイポッドなんかもちろん存在しないし。
音楽が好きなら自分で楽器を練習したのだ。と書いて思い出したが、高度成長期にやたらにピアノを習う子が増えたのも、上流幻想というわけだよな…。戦前に安価に購入できた楽器って何だ。映画『宵待草』にバイオリンを弾く街頭楽士がでていた。
チャップリンの短編「有閑階級(原題)」は、邦題が「ゴルフ狂時代」あるいは「のらくら」というもので、要するに他人の作ったクラブを買って、他人の整備したコースで遊ぶ。金を払って。
経済というのも、治安の一種なんだなあと思うのである。対価を払わない者は、捕まえる。そういうルールを敷いて、社会に存在するものにどんどん値札をはりつけていった。戦後の歴史って、そういうことじゃないか。
あとは、ある個人がやたらに買い物をするのをいましめる、とか。お中元やお歳暮の風習って、つまり江戸時代の参勤交代と同じなんだ。個人の収入の使い道を、社会がコントロールする。
社会、ないしは都市というのは、他人と同じことをするように人に強いる空間なんだ。同じことというのは、内容だけでなく外形的な面でも。