記憶

身体論者になってから、映画の見方がかわりつつあって、まあ前からすこしはそうだったが、映画のなかの人がする談話には根拠がないかもしれないんだよな、と思いながら聞く…。

つまり、どんな話も、話であるという時点で「宇宙人による誘拐報告」なんじゃないかと思えて…。

記憶って何ときかれたら、すくなくとも私は、その人が口にする単語のセットの一群のことを指すとしかいえないな。つまり、その人が使用する言葉の全体が「人格」とか「教養」で、記憶というのはその一部にすぎないと。記憶は人格の一部であるというと、なにやら尊いことを言っているようだが、一部は一部でしかない。

そういえば、「記憶」だって、「人間」とおなじで、周囲の他人と共有してはじめて意味をなす概念でしかない。