人形を大事にするところから、人間を大事にすることがはじまる

http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20040402
ふと思い出して町山さんのブログを確認したのだが、バトーのありようについて町山さんの見方はちょっと違うように思うのだ。

バトーにもいちおう父はいるのだ、荒巻という。仲間もいる、トグサという。子供もいる、犬だけど(そういえば、犬に名前をつけていたっけ? 「ガブリエル」だったっけ)。そして、母は死んでいるわけだ。草薙素子が。

人形愛の人を「気持ち悪い」というのは、まだアリかもしれないけれど、同性愛を気持ち悪いといったらもう非難されるだろう。ペット愛を気持ち悪いといったら、これもまた非難されるだろう。

演出が極端なので、見終わった観客は「さて…」と思ってしまうけれども、『イノセンス』は仕事が楽しくて夢中になっている中年男が、ふとしたきっかけで人生について考え込んでしまった、という話でしかない。深刻な話ではないのだ。

どちらかといえば、子供をどう育てていいか分からない、だから描けないという話なのではないか。子供は人形遊びでもしててくれ、という。

結婚していて子供がいたら、こんな映画はつくらない(なのに作っている)という町山さんの感想の方が極端だと思うのである。子供をどう育てていいか分からない、なんて、人類普遍の悩みであろう。

子育てこそが、人形遊びの代理という見方は、案外、実際のものではないかとおもうのだ。ふつう順番からいっても、人形遊びをしてから、(数年経って)子育てに入るのだし。

バトーが絶望している、というのはちょっと違うと思うのである。自分の職能については、バトーは絶大な自信をもっていて、草薙への思慕も、自分よりも出来るヤツへの素直なあこがれが入っている。

これは私の解釈が足りなかった点だが、バトーは、ダビングされたゴーストの「たすけて」というあえぎを、セクサロイド固有の魂だと思っている。だから少女に怒ったのだ。私は、ついさっきまで、「ダビングされた」ゴーストだから、バトーの思い入れは過剰なものだと考えていた。しかし、なんということだろう、引用ばかりを口にする人間の魂も、また、教育によってダビングされたゴーストにすぎないのであった。