死の絶対性があるのなら

生もまた絶対性のもとにある。他人の人生を乗っ取ることはできない。だから「エノケン本人になりたかった」とのたまった筒井康隆に私は驚くのである。ある人がある事象をどんな言葉でもって表現したところで、その「物語」が事実になったり虚偽になったりするはずがない。物語は虚偽でも事実でもないのだから。

ところでマクベスのセリフは、じつは自己や身内の死を認めないおもいあがった人間のくるしまぎれの捨て台詞であるという解釈もあるようで→http://www4.big.or.jp/~j-i_2/SJC/Shake/after.html