「波瀾万丈の物語」

宮崎駿は身分制を認めたくないから、ふつうに物語をやろうとすると、無理してすこし虚ろになってしまう。カリ城でのルパンと食堂の娘のやりとりとか、ナウシカでのナウシカと老人たちのやりとりとか、見ていて気恥ずかしい。

庵野秀明は身分制について関心がないから、人間関係でしかキャラクターを描けない。脇役のドラマを削り気味にしたヱヴァが、一気に古くさくなった(海洋施設あたりの描写)のは、要するに1980年代にかえってしまったのだ。

身分制についていちばんわかっているのは押井守だろうけど、この人は物語に関心がないときた。日本はそういう環境なのかもしれない。