近代とか自由とかって、そんなにいいもんか?

だから封建時代はいいと主張したいのではなく、抑圧の形態が違うというだけだろう?

小谷野さんは法の下の平等にこだわっているけれど、こだわるほどに平等とは関係ない現実と理念との乖離に苦しむことになりませんか? かつて教会の教えと現実との乖離に人々が苦しんでいたことを繰りかえすことになりませんか?

もしぼくが新憲法を書くとしたら、第一章は「言語と現実の乖離」、第二章は「生物としての人間の宿命」を置くな。もちろんこれで信教の自由に制限が加わることが決定。