デカルトで尽きていた

「考える故に我あり」の有名さに隠れがちだが、「世間という名の本」というのもけっこうやばい思想である。参加してこそ、世間なのに…。

連続殺人者は、サドやルソー以前に、デカルトの末裔でもあったのではないか。社会が対象であるという感覚は、デカルトから始まったのではないかと。