身近な人が死んでもなかなか態度が切り替えられるものではない

藤岡氏が唐沢俊一が死んだ志水一夫の家を訪ねて蔵書の状態を調べにいく日記の書きぶりを軽薄だと怒っておられるが、さてそんなに怒るほどのことかと思うのである。どうも死者への敬意というものの考え方が抽象的でありすぎる感じがするのだ。ごく単純にいって死者への敬意というのは「そうしないと祟るから」必要とするはずのものであって、唯物論的には亡くなったなどとことさらに言わずにたいていは死んだと表記する小谷野さんのほうが正しい。藤岡氏が志水一夫の遺族と面識があるのならば暗夜行路の緒方の談話に登場する或る男のように「強面に」唐沢に「意見をする」資格はあるだろうが、もし赤の他人のくせに怒ってみせている(読者に!)だけなのなら、これは滑稽な事態でしかない。

身近な人間にとってはある人が死んだってそんなにすぐにはいそうですかと気持ちが切り替わるはずがないのはわかりきったことだから、ここにかぎっては唐沢俊一の書きぶりは「普通」だろうと思うのだが。