「小説がそもそもくだらないものだった」(!)
という立場を導入して考えるしかないだろうなあ、と思う。筒井康隆が日本文藝家協会を抜ける時に文学者を虞犯者と呼んだのは正しかったと思えてくる。虞犯者はなにを犯しそうだというのか。ありもしない「我」や「世界」を在らしめて、民を惑わす罪を、である。
「報道と考証、意見披露だけが散文のただしい使い方で、物語や伝説は散文から廃棄されるべきだったのだ」!
だから伝説や物語から小説家はパクる。横着なのは他人の作からパクる。「ふつうの小説家さえそうなのに」、私小説作家など、自己の経験を糧に民を惑わすのだから、これは途方もない極道者ということになるわけだ。
(注)この文章にも嘘がまじっている。実際の筒井の主張による「虞犯者」はもっと即物的な存在である…