自己について/家庭

前にも書いたかもしれないが、主観(心)が自己なのか、客観(肉体)が自己なのか、社会的地位が自己なのか、という問題がある。「法は家庭に入らず」という言葉を知って、ふとこのことに考えが舞い戻った。

多くの人はこれが渾然としている。自分がわかっていることを他人につたえるときに勝手に略してしまったりするのとか、そう。その省略したことがじつは先に相手に伝えるべき、話を理解する上での前提だったりすることがある。ここで、その人にとっての「自己の散乱度合い」が他人と違うために、コミュニケーションに齟齬が発生するのだ。

家庭など、散乱どころか、まさに道理から外れた世界だとしかいいようがない。法も匙を投げようというものだ。願望や不安にあわせて、社会のルールがゆがめられていく場といえる。