『昭和のいのち』

若いころの藤竜也がちょっと面白い。裕次郎はこのころから若者らしくはにかんだような声と強面な容貌とが合わなくなっていく。川辺のシーンで、電車が画面の奥を通るのだが(舞台は昭和七年以後)、時代考証の上での表現?

したいことができず、のぞまぬ役目を押し付けられる哀しみが、主題として、強迫観念のように映画のなかで変奏されつづける。だから、最後の殴り込みのシーンが描かれないのだ。ある意味、エンドレスな作品なのだと言いうる。昭和二十年までが昭和であとはおまけなのだ、そういう見方を持っていた人もたくさんいたのだろう…。