ふたたび裕仁に譲位したマッカーサー

 占領期の日本人の気持ちは、やはり量りがたい。天皇家明治維新のときの徳川家のように退位させられると当時の日本国民は思ったのだろうか。それを見越しての「マッカーサー様」だったのか。マッカーサー本人は、極東の島国にクリスチャニズムとキャピタリズムを注入して、これを足がかりにアジアの野蛮人たちを改造する気まんまんだっただろう。

 共産主義か資本主義かで対立していたような20世紀後半だったが、結局はロシアかアメリカかの闘争であって、経済様式は口実に過ぎなかった。ヨーロッパは、20世紀の前半に殺し合いをし過ぎて、アメリカとロシアの角逐に脇役として参加するしかなかった。ソ連はロシアになって衛星国から人員を徴収できなくなり、アメリカもいまでは国民の3割がスペイン語しか話せないそうだ。しかしこの3割って数字はほんとなのだろうか。

 戦後日本人はまずマッカーサーから梯子を外され、共産主義国からも梯子を外され、なんとなくで残った日本の豊かさからも梯子を外されようとしている。何をよりどころにしていくのだろう…。