箱舟の論理

『方舟さくら丸』は、もう読んで15年くらいたつので記憶もあいまいだが、「箱舟の乗組員」は世間から無視されていた。旧約聖書のノアは世間から馬鹿にされていた。

 『2012』の箱舟は世間から秘匿されて、富裕層の金をもちいて国家がつくる。ノアの時代には、神と世俗はしばしば対立する、たがいに「生きのいい」概念だったし、安部の時代には完備された国家が終末を俗説として一笑に付し、はぐれ者が起居して、あれこれ夢想する「余分」が社会の片隅に残されていた。『2012』は、いろいろ成り立たない物語であるのを承知でつくった映画という印象がある。箱舟をささえる根拠が、神の命令でも、個人の夢想でも、資本主義でもないのだ。人類の生存権? しかしそれを担保する国家が消滅しているのに、権利もくそもないだろう。

 やはり喜望峰で殺し合いがはじまるんだ…。