タランティーノは

ジャッキー・ブラウン』のころまではけっこうまともになろうとしていたのが、『キル・ビル』あたりから開き直った印象がある。

 『デス・プルーフ』は、女を知っているのを示すことと女を描くことを区別できていないような感触があった。あの映画でも、スタントマン・マイクの不気味さを描くほうに、よりタランティーノの気持ちが乗っかっていた。

 アメリカ人も、いろんなものを手放そうとしているな、ということは、最近の映画を見ていてとくにそう思う。タランティーノの映画もその流れのなかにあるのだろう。