「律法学者のようではなく、権威ある者として語る」

2000年前のエルサレムあたりも、価値紊乱の時代だったのだろうか。あらゆる説明が完備されて、しかし言葉はなかった、と。人々は命令と説明とにこづきまわされて、なんのために生きているかもわからなかった、と。まるで「今」のようではないか。どの今が本当の今なのだろう。彼らの今が本物なのか、私たちの今が本物なのか。