「イデオロギーに殉じる」

システムだけいろいろ変えたってなにもよくならない。よくなるはずがない。電源ケーブルの配線をいろいろ変えても、電力会社にアンペアの変更を申請しなかったら意味がないのとおんなじだ。

 宗教(十字軍)、国民国家イデオロギー(ヨーロッパの18、19世紀)、国家体制のイデオロギー(20世紀の冷戦)に変わるものを用意しなければ、自給自足の秩序でやっていくしかない。ようするに封建制なわけで、いまだって十分よのなかのもろもろは封建(既得権益保護)的なのだ。

 システムの外部にエンジンを積まなければいけない。神とか、世間とか、共産主義とか、総動員体制とか。「全体」とか「無限」につうじる観念だ。子ブッシュの代のアメリカは、反テロというエンジンを最大限に回してアメリカの経済を循環させた(というか銀行の残高を貧困層から吸いあげて富裕層に偏らせたというか)。温暖化防止はこういうイデオロギーになりにくい。

 エコなのは結構だけど、火力発電所の稼働量が落ちてるかどうかとか、ちゃんとチェックしてるの? 末端であれこれいってたって、そういうところに気を配らなければ意味ないじゃん。節電で実現できるエコなんて、それだけなのにね! 因果関係もふまえられない馬鹿ばかり。

 私は独身だから、自分が我慢すればいいので、部屋の暖房をいっさいしてない。そこらへんでエコエコ言ってるやつらよりよほど二酸化炭素排出を節制している自信がある。さみ〜なーつって我慢しているのは、これ、つまりイデオロギーに殉じているということだ。

 結婚についてあれこれいってるひとのブログを読んだけど、このひとはまだまだ腹が決まってないだけなんだなあとしか思わなかった。そもそも、制度外の「同棲力」とでもいうべきものがその個人にそなわっていなかったら、結婚の話をしたってしかたない。結婚って、同棲カップルと政府の関わりの問題なのだから(あるいは、同棲するならちゃんと手続きふまえなさいよと忠告する親類の顔を立てるとか)。他人と同棲できない個人が結婚についていろいろいうのがナンセンスなのだ。