『I SHOT ANDY WARHOL』

戦略と戦術の、そのまえに理想がある。理想が先行して、戦術どころか戦略さえなかった人間が破滅していくさまがよく描かれている。ウォーホルだって超然とはしていられなかった。自分も発信源のひとりであったポップアートの波からおりるわけにはいかなかったからだ。理想を韜晦して有名人でありつづけようとしてそれに成功したウォーホルと、まさに対極的な存在だったソラナスソラナスから銃撃を受けた10年後の1978年のウォーホルが最後にちらりと登場するが、さらにこれから先10年もこの男は暗殺者の虚像に怯えつづける…。

 フロイトとかローザ・ルクセンブルクとか、はるかな未来から振り返れば、精神分析共産主義フェミニズムの初期の聖人たちということになるんだろうな。後世いろいろ誤解され、解釈され、崇められつづけるのだろう。ヴァレリーソラナスだって、愚かであっても、孤独な魂だったことに違いはないのだ。男性抹殺集団の宣言が本となり、世界中で訳されたというテロップを読んで考え込んでしまった。

 この作品の監督は、1980年代を回顧した『アメリカン・サイコ』(2000年発表)で注目して、『ベティ・ペイジ』も面白かったので、遡ってみた次第だ。独特の低体温な感じがいい。戦後アメリカ史の回顧ものとして、別の監督の『ノーマ・ジーンとマリリン』なども思いだす。