『バッド・ルーテナント 刑事とドラッグとキリスト』

みようみようとおもってみないでいるうちに15年以上たって(!)、リメイクの話がきこえてきた。

なんでオリジナルのエイベル・フェラーラよりも年上のヘルツォークにリメイクさせるのだろうと思う。とはいえまずフェラーラ版から見てみた次第。

監督はかなり性急に自分の関心をおいもとめている印象がある。罰されることで神に近づこうとして男は神に挑戦する。野球賭博で無茶な目に敢えて賭けることで、自分を追いつめる。すなおに神の僕になりきれない心。周到な脚本を準備しないまま映画にすることが「私小説的」ではある。ガス・ヴァン・サントをふと連想した。いまのアメリカ映画は、このあたりのクリエーターたちをなんとなくなかったことにしようとしてはいないか。