超人と死人

ニーチェの著作から抜粋して、通俗名言集にしたてた本があるらしく、それを池田信夫が批判していたのを面白く思った。ニーチェなんて世界に嫉妬して敗れた人の典型のような者で、かれが死んで数十年後にヒトラーがかれの欲望を模倣して「世界」にかなりちかい存在にまでなった。ヘーゲルがナポレオンを世界精神と呼んだこともあわせて思い出す。そのヘーゲルを批判したマルクスはやはり世界に挑戦してその戦いに破れ窮死し、ニーチェヒトラーを生んだように、マルクスもまたレーニンというやっかいなものの登場を準備した。


キリスト教国にとってのキリスト教は、日本にとっての世間のようなものだから、これを批判することは難しいようでそうでもないのである。対象が確固としているから。あとは勇気だか蛮勇だかを、批判者がもっているかどうかである。しかしそんなものを持っていたところで、幸福なのかどうか(あはは、キリスト教の勧誘みたいなことを私は言ってる)。


個人は「世界」を敵視して、批判じみたことを言うことはできるのである。脳があって、目があって、耳があってなどしていれば。しかしそれはそれだけのことであって、世界そのものになることはできない。世界の拘束から逃れたければ、超人になるしかない。しかし、超人というのもまた「神」にひとしい空語であった。ニーチェは世界に戻ることができず、超人にもなれず、しかたなく狂人期を経たのちに、めでたく死人になりおおせた。世界を滅ぼすことも、自分が死ぬことも、畢竟同じことだったのである。ニーチェの世界への憎悪は、不完全なかたちながらも成就されたのであった。