幼稚なことにたいする恐れ

http://d.hatena.ne.jp/HowardHoax/20090817


この『ダークナイト』評はなかなかいい。私も、ゴードンがデントをまつりあげたり、ジョーカーがフェリー乗客を「信用」していたりなどの、終盤のもろもろには疑問をもった口である。「あまりにも露骨に風呂敷畳みはじめてませんか、ノーランさん?」 監督にはあのまま映画を破壊してほしかったのだ、三池崇史のように。私のなかでは病院が爆破されたあたりで「映画は終わっている」。ノーランは変態(バットマン)が変態(ジョーカー)を諌めている図を想ってうっとりしていただけだろう。私にもそのくらいはわかる(年長の変態(バットマン)が新人の変態(デント)をいさめるシーンまである。ノーラン版の世界にはトゥーフェイスという怪人は「いない」。社会に対して名乗りを上げぬまま死んだから)。


なんで『ダークナイト』がアメリカでヒットしたかと言えば、やはり、戦時下のアメリカ社会が「ジョーカー成分」を涸らしていて欠乏を感じていたところにうまくマッチしたからだろう。1990年代は、ロビン・ウィリアムズみたいな人がいたが、2000年代になったら、お笑いはハードコアになってしまって『ジャッカス』みたいになってしまった。社会になにかしかけるのではなく、自分で勝手に笑っている。『トロピック・サンダー』も、人が面白いというよりは(ジャック・ブラックのジョーカーが見たかった)状況が面白いわけだ。『ダークナイト』でも、2000年代のアメリカ映画らしく、社会は蚊帳の外である。


私はジム・キャリーがジョーカーでも良かったのだが、ジョエル・シュマッチャーの作品ですでにリドラーを演じているし、ベタすぎるしで、無理な話だったのだろう。





ノーランは『狂気の愛』も、当然見ているだろうねえ。「マスクの銀行強盗」がでてくる(この動画の20秒前後に一瞬映る)。