病気の人が自分の思考を抜き取られたと騒ぐのも

要するに客観はあるはずだ、大文字の他者はいるはずだ、神は存在するはずだ、と訴えているのだ。


そして、これが社会のいやらしいところだが、自分の主観を客観として押し付けようとした人、大文字の他者を起拝させようとした人、神についてやたらに語る人らを、社会は押さえつけようとする。それは「社会」が個人に移譲したくない権利だからだ。そうはいってもその社会にカネが循環しているうちの話だが。


テロリストの資金を凍結するのもそうだろう。病気の人を精神科に収容するのとおなじく、あれはすぐれて思想的な営為であるのだった。ラカンは死んでいてもうきけないが(本当かな?)、爆弾はかならず爆発するのか聞いてみたい気がする。