手紙はとどくか、とどかないか

デリダはとどかないこともあるといい、ラカンはいやそれはかならずとどくといったらしい。


ある人が手紙をかこうと思った時点の手紙が、「想像界にのみ存在する手紙」で、書いてしまえば、「現実界象徴界それぞれに存在する手紙」になったということだろうか。ポストに投函しない手紙さえも「とどく」というのは、手元の「手紙」にたいするある人の評価をふくむものか。手紙を書いた後に受取主にあわないままにしておけば、ある人の内面において「想像界の人物としての手紙をうけとった人(S)」が存在し続けられる。実際に受取主とコンタクトをとって手紙をうけとったかどうかを確認してはじめてSに斜線をひくことができる(「私が出していない手紙をあなたはうけとっていませんよね?」!)。


ただし、その受取主はウソをついているかもしれない。あなたが寝ているすきにあなたの家にしのび込んであなたが書いた手紙をぬすみ読んでいるかもしれないのだ。「手紙」を現実界象徴界にひきあげるとは、そういう可能性を発生させることでもある。


主観が振出す(手形を振出すという意味の振出す)行為は結局のところ、客観には回収しきれないものなのだ。