『第9地区』

帰宅して「シネコンウォーカー」の3月号をしげしげと見返してしまった。川村ゆきえ、これ、見たんか…。


話としてはふつうのSFで、主人公が人ならざるものに変化(へんげ)してしまうお話なのだが、戦闘シーンの描き方が『ランボー最後の戦場』みたいにエグイので、正直引いてしまった。ふつうの映画3本分ぐらいのネタを、整理しないでぶちこんだままにしているので、見ていて落ち着かない。差別も、宗教(カニバリズム…)、親子愛も、戦争も、どれも解決しないまま終わってしまうのだ。その落ち着かなさも作り手の狙いであるかのようだ。溜めを設けずに変化してしまう、象徴的に死ぬ、というのは、これは新しいかもしれない。物語否定のようでそうではないのだ。


ただまあ結局、あまり面白い映画ではない。なにがなんでもリアリズムを追求しろなどとは思わないが、こんな宇宙船が不時着ならぬ不時滞空をして、アメリカが介入してこないわけがないではないか。そういう詰めが甘いので、この映画は幼稚な構築物としか思えないのだ(南アフリカも、日本並にアメリカへの葛藤を抱えていることだろうに)。寓意を自然らしい物語に紛らわすのが映画作家の仕事なのに、『パラノーマル・アクティビティ』もそうだったが、その作業への関心があまりにも薄いのだ。現実はひどい、あるいは、人と人がかみ合ってない、だなんてことは誰だって言える。シネコンウォーカーで「引いた視座から撮っただけだから、テーマの論評は無意味(大意)」と語った宮台真司はさすがにわかってる。映画は願望充足をもとめてあれこれ工夫しなければいけないのだ。この映画はそれがないので、端的に、浅いのだ。