サイコダイバー

中学生の頃聴いていた音楽をかけて、疑似タイムスリップをほどこしながら自己分析するのだが、正直苦痛だ。私という存在(客観)に巣くう私の心という名の嘘つき(主観)が、見まい聞くまいとしてきたものを無意識の中からほじくりかえさなければいけないからだ。あのころ、彼や彼女らは、私のどういう顔をみながらあのような反応を示していたのか…。


たとえば、タイのアピシット首相。私は彼になにも含むところがないので、あのスーツ姿を立派なものだと思って見ているが、広場を占拠していたあの赤い人たちは、もちろんそうは思ってないわけで、彼らがカメラをもってアピシットに対峙したら、どのような映像を撮るのだろう、と。