なぜ「ホビー」が「趣味」なのか

「私的に打ち込んでいること」あるいは「娯楽」が、なんで「気分」のことになるのか、これは子供の頃から不思議に思っていた。議論を打ち切るのに、「趣味の問題」という表現が持ち出されることがあって、これも何だろうと思うのだ。議論が枝葉末節におよんで本質から離れたというほどの意味だろうが。

ホビーと言うと、プラモ作りのことしか思い浮かばないが、これはまあ面倒なものなのである。「趣味」には、面倒という側面が抜け落ちる気がする。

これはそんなに面倒ではなかったが、それでも合わせをヤスリでけずったりして、1時間以上はかかったわけだ。


日本語の特徴なのかどうか知らないが、先回りしたがるのだ。「私的に打ち込んでいること」の先に「趣く境地がある」、ならばはじめから、娯楽のことを趣味と呼ぼう。そういう配慮が、語彙の選択にまで及んでいる。