『修羅の棲む家』

図書館から借りる。順番待ちしていたことも忘れていた。

売れだしたロック歌手などが売れない頃の「糟糠の妻」と縁を切るというのは聞く話で(しかしこれもどこまで実際のとおりなのか調べてないのだから本当かどうかわかったものではない)、そしてそういうことをするのは歌手にかぎったことではないわけだ。

作家としての井上ひさしにはあまり興味がないので作品よりも言動や経歴などからいろいろ考えてしまうのだが、キリスト教日本共産党に入れこんでいたのだから、そうとう強固な超自我にふりまわされていたのだろうということは容易に想像できる。反対に、若いころの好子夫人が、井上ひさしの腰の低さを不満に思うシーンがある(43ページ)。こちらは井上の自我に相当するわけだ。

自分(好子)も文学少女だったのだが、次第に創作や発表から離れたと述懐している(37ページ)。このあたりが妙に曖昧模糊としていて、「志波末吉」「桧山茂子」という実名の明記が、かえって著者が自分の経験から解離せんとする意図を明かしているような気がするのだ。「芝居に足をつっこんだり、詩人を気取り、野上彰という詩人のところに居候をしたり、週刊誌を発行したり」して、で、どんな内容の文章を書いていたのかというと、そういうことには一切の言及がない!

後半の第二部のほうが面白い。最近こまつ座の代表が長女から三女にかわった報道があったが、しかし12年前に書かれたこの本のなかですでに、長女が激務にあえぐ様子が描かれている。

しかしまあ、日本には井上ひさしを崇拝したがる人間がいまもっても多くいるらしいのよなあ。戦後思潮として、市民が自分の無力感を慰める方便として、旧社会党共産党の存在意義があった。井上は、旧体制を憎悪する作法をそれらから教わって育ち、長ずるに及んでは自分自身がそれら政治的主張を体現するためのマスコットになった。井上が「吉里吉里人」を、大江が「同時代ゲーム」を、筒井が「虚航船団」や「唯野教授」を、それぞれ著して、ファンタジーに遊んだのも理由のないことではなかった。人は、ファンタジーにたよって生きているのだ。

修羅の棲む家―作家は直木賞を受賞してからさらに酷く妻を殴りだした

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