『秋深き』

涙腺決壊。嘘といえばこれほどの嘘ばなしはないのだが、でも、こういうのこそ映画だなあ、と。

なんで最近の映画は難病ものばかりなのか。フロイト派のくせに不覚にも気づかなかったが、経済の不満、思うように物が買えないストレスを、「別れ」の苦痛にすり替えているのだ。「実家が仏具店だから位牌や仏壇がタダで手に入る(だから八嶋智人佐藤江梨子をノンリスクで手に入れたわけだ)」とか、「最後の最後で大穴が当たって借金や使い込みがチャラになる」とか、物語の基層に純情と真心だけをセットして映画をドライブしていて、現実原則にそれをインタラプトさせない。映画の見かけの穏当さとはうらはらに、その奥底には経済への敵意がひとしれず渦巻いているのだ。

日常、人は経済を敵視して生きてはいけない。日常から切り離される一瞬、親しい人の死を看取る時間に、人間は経済への憎悪を解放することが許されるのだ。