原爆幻想 1945年7月の茫然自失

最初に京都に落としていたら、天皇は何を思ったろうか。1945年の7月、日本のエスタブリッシュメントは、あるいは、ずーっと呆然としていたのかもしれない。千年前には平将門と諍っていた日本の権力者は、ついに異民族の支配に屈する危機に直面していた。

トルーマンの濃厚な20日間。トリニティ実験の10日後にポツダム宣言。その11日後に広島への原爆投下。

ただまあ、マルクス博士は分からないかもしれないが、これだけやられたんだから降参してもいいか、という日本側エスタブリッシュメントの口実でも、原爆被害は(7月の膨大な空襲も)、あった。どちらにしろ滅ばなかった二国間におこったかつての悲劇は、ふりかえってみたら共同謀議のようなものなのである。冷戦は米ソの共同謀議だったと、ソ連解体直後に誰かが言っていた。