「その絵がなぜ動かなければならなかったのか?」(ついでに、大について)
原作クラッシャーとしての1970年代の宮崎駿。モンキー・パンチの劇画『ルパン三世』を。ヨハンナ・シュピリの小説『ハイジ』を。アレグザンダー・ケイの『残された人びと』を。
他人様の作品を傷つけるのにしのびない。その思いが1980年代のナウシカ、ラピュタ、トトロの製作につながったと考えるのはうがち過ぎか。トトロはパンダコパンダのリメイクとしての側面もあるらしい。
http://lupinfes2003.fc2web.com/NEW2/interview/ohtsuka/oh03.htm
このページで大塚康生が伊藤俊也のことを名前をふせて悪くいっているのが、なんだか気にかかるのである。どこかで大塚は鈴木清順もけなしていた。動かすことを天職と思う人が、案外ストーリーを決める人のことを嫌っている。宮崎駿が司馬遼太郎や堀田善衛に教えを乞うたのも、一見大塚の悪口と正反対のようで、しかし似た心性から発したふるまいのなのかもしれない、と。ストーリーを信じられないニヒリスト。ナウシカもラピュタもトトロももののけ姫も物語のその後への余韻を観客に強く与える。つまりは終わりきらない。アニメーターの業として、ストーリー性への反抗心のようなものがあるのではないか。
白蛇伝の紹介と、東映動画の紹介がかねてある。大塚康生の青春も、宮崎駿の青春もここからはじまった。編中の惹句に「大東映」とある。