ノブナガ・オダを殺したミツヒデ・アケチは、ヨシモト・イマガワに討たれた
って、英語の本に書いてあったら、外人はほうそうなのかと思うであろうか。
一年経って気づくのも間抜けな話だが「輪廻する指揮者たち」の項がリンクされていた。
私は、星はわかっていてやったと思っているのだが、私の意見に対して誤訳説はコメント欄のkokadaさんと足して、1対2である。誤訳なのかなあ。
それにしても、なぜアシモフはこんなあまり面白くもない話を載せたのだろうと思って、久しぶりに原書を眺めたら、トスカニーニとバーンスタインの話の次が、ディアギレフとストラビンスキー(どちらも法科学生だったらしい。これも有名な対である)の進路にリムスキー=コルサコフが関わった話なのである。原書の章題名が「シャープとフラット」なので、対の関係の話を並べたのか。トスカニーニとバーンスタインは、クラシックの世界では対になりにくい名前だけれども、トスカニーニとワルターは有名なライバル同士である。アシモフはこのへんの、あまりきれいに対応しているとはいいがたい関係(ライバルと本人に共通点があった、ではなく、ライバルと本人の弟子に共通点があった)に無理に妙味をこじつけて立項したのだろうか。邦訳版はディアギレフとストラビンスキーの話をカットしているが、星はあるいはこの流れに足をとられたのかもしれない。
(1)トスカニーニとバーンスタインは代役でスターへの切符をつかんだ。(2)バーンスタインはワルターの弟子だった。(3)トスカニーニはワルターのライバルだった。もちろん(3)をそのまま載せるわけにはいかないのである。(3)は、事実(アシモフ著の原題)ではなく、多くの人の解釈にすぎないから。そして文章からワルターの名前を削っても(1)の情報は損なわれないのだが「だから何?」で終わってしまうのである。
(1)ディアギレフとストラビンスキーはセントピータースバーグ(英語読み)で法律を勉強していた。(2)ディアギレフはリムスキー=コルサコフに作曲家への志望を反対され、かわりに近代バレエの父となった。(3)ストラビンスキーはリムスキー=コルサコフに励まされ、近代音楽の父となった。アシモフはワルターとリムスキー=コルサコフを同じ位相に置きたかったのだが、無理が出たということか。
とはいえ、星が気にかけるべきは、まずは「トスカニーニとバーンスタインは代役で頭角をあらわし、そしてそれは平凡な代演ではまったくなかった」ということだったのである。星の翻訳文はまるめ過ぎてアシモフの文章を損なっている。トスカニーニはオペラのアイーダをそらで指揮した。バーンスタインの演奏は新聞の一面を飾った。この二つの情報は落とすことができない。これを訳したとき、星は上の空だったか、やはりいたずら心が頭をもたげていたのだろう。アシモフも、トスカニーニとワルターの関係など特に知ることもなく(彼らのライバル関係というのも、かつての日本のレコード産業周辺でのみ行われた宣伝でしかないのかもしれないのだ)、取材で知りえた情報をもりこんだだけなのかもしれない。
バーンスタインがトスカニーニの活躍のきっかけをつくったなんて話は、じゅうぶんに星新一的な面白さの範疇だと思うのだがねえ。「ガセ」だなんて潤いのない概念が下品なだけである。
ところでトスカニーニは誰の代役だったのだろうと、これは『雑学コレクション』初読の時から漠然と思っていたが、英版ウィキペディアにはレオポルド・ミゲスという人名が挙げられて、なんだかさんざんな書かれようである。アシモフはこの人を知った上で武士の情けで伏せたのでもあろうか。