回顧と気の病(佐藤亜有子「死の花嫁」)

文藝 2010年 11月号 [雑誌]

文藝 2010年 11月号 [雑誌]

たまたまこれを読む前日の夜中に、中川信夫の『東海道四谷怪談』を観ていたので、偶然なのだが、不気味な符合を感じて怖くなった。

他人と暮らすというのは、言い換えれば、回想モードに入りにくい状態で日々を過ごすということだ。日常を突然剥奪された主人公は、日常を剥奪された理由をもとめて逡巡する。

著者がなぜこう表現したのか、たまたま済ましておいた去年の予習が効いて、いちいち腑に落ちる。同じ誌面の清水アリカの追悼とも響きあい、1990年代の文学がここに短く収斂したような気もする。対象を喪失した自我が崩壊するさまを描くことに、自己の全力を賭けてしまったのがあの時代の文学だった。1980年代の文学である村上春樹が今の時期にリバイバルしたようには、1990年代の文学が10年後に再発見されることはないだろう。