慌てるな…

日本人の脳に主語はいらない (講談社選書メチエ 410)

日本人の脳に主語はいらない (講談社選書メチエ 410)

149ページで川端の伊豆の踊子を例にあげて、複文の後半の主語が前半のそれとは違うことに言及しているのだが、ここの議論が稚拙である。この本の引用だけでは、隠れた主語が「私」か「踊子」か分かるわけはないのだ。著者の引用より1ページほどまえに川端は「踊子はうなずいた」という一行を置いていて、それを受けての「私が縄梯子に捉まろうとして振り返った時、さよならを言おうとしたが、それも止して、もう一ぺんただうなずいて見せた」だからである。著者が「ちなみに、私は「私」だと思った。日本語は難しい」などと軽口をたたくのを見て、私は不快感を催した。

現在日本語で主語とされている言葉はじつは「場所」なのだという主張はうなずける。