『レフト・アローン』

第2部。偉大なる独裁者も、大衆を牽引する前衛党も、その輝きを失って、そして…。

呉智英吉本隆明の論敵という認識しかなかった津村喬がでてくる。津村と絓秀実の対談を中断するかたちで、現在の左翼状況の概観がしめされる。そこで絓はスーパーフリーを左翼ムーブメントとして評価しようみたいな感じを出すのだが、それはどうかと思った。しかし、すぐにはっと思ったのは私の方である。

要するに、良い生活をしたい、というのが左翼思想の根本にあるのだから、太極拳(津村)だの、ヨガ(オウム)だの、セックス(スーパーフリー、…まあ強姦だが)だのは、そういう快楽の追求として、同じものなのだよなあ、と。ちょっと困ってしまった。またも正しいのは絓さんの方なのだ。快食、快便、快眠、快労働、快セックス…。

呉智英が津村らを「珍左翼」と名指し、島田雅彦が「サヨク」と表記変更してから、もう30年が過ぎようとしている。市民社会が成熟することで、さまざまなひずみが生じているが、その解決策というのはいまのところない。自殺する気になればいつでもそれが可能な快適な社会。私たちが実現したのは、結局のところそういったものでしかないのかもしれない。そして、映画終盤の絓の発言を茶化すわけではないが、そういう社会は「すばらしい」のである。個人の自由が最大限に許される社会。

私たちが興味をもつ、そのすべてが結局は「珍」なるもの、でしかない/にしかなれない、すばらしい珍世界である。あなたも珍だし、私も珍。珍なる世界の裏側の路地を、絓秀実は今日もゆく…。

(煩瑣にわたるのでこの映画は1990年代のサブカルチャーの細分化については省略しているが、なんでサブカルチャーがダメなのかがやっとわかったよ。自分たちが家父長制を採用することを自己規制しているからなのだ。それじゃあメジャーになれないよな)