アフターダーク、さらに

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これはちょっと違うと思うのですが、要するに左翼や心情左翼は、小林が登場したとき、一瞬だけ本気で期待してしまったのですよ。だから、だからこそ、いまでも攻撃しているのですよ。

『ゴー宣』はじめの単行本の帯に「権威よ死ね」ってあったでしょう? 左翼は「なら天皇よ死ねって意味だ。しかもこの人売れてるんだって? すごい援軍があらわれたものだな」って、勝手に思ったわけ。

もちろん小林は天皇制の放棄とか解体とかそんなことは微塵もおもっていない「一般人」にすぎなくて、描いてるうちに社会の反応をみて「ああ自分にとって当然なことも、いちいち説明しなければならんのだなあ」と思って、勉強して、現状のようになっていった。

だから、小林の場合は、転向といっても、保身のためにした宗旨替えを合理化するためにどろなわの理屈をひねりだしたのとはちょっと性格を違えたものであるし、左翼からの攻撃というのも、自分たちの思い込みが思い込みでしかなかったことが、恥ずかしいやら悔しいやらするために行う、ごく心理学的な補償行為でしかないと思うのですよ。左翼は、売れることに関して、途方もない幻想をいだいているに違いない。

私と右翼・左翼とのあいだの感覚の違いというのもあって、どうやら右翼・左翼にとって漫画家という職業は嘲るに足る身分らしいのが私には意外で、だから小林が「こんなに漫画家って低く見られているんだよ」という話をするのに、いつも驚くのだ。「世の中って、まだこんななの!?」と。

絵というのは写真ではないから、マンガは、常に「こういうふうにやってみたんだけど、どう?」って、読者に問いかけてる。

私は、思想というのはわりとどうでもよくて、人に脳があればそれは存在なのだから、存在が存在するからにはとうぜん一定の傾向をもつであろうとしか思わなくて、思想というのはその人の脳の傾向でしかないし、どんな脳にも「思想」はあるに決まっていて、だから思想に格別の興味はとくにないのである。私が気にするのは漫画家の描線だけだ。

そういう観点からすると、小学館へ移籍して以降の小林の描線は、他者を知ってしまった描線という感じがして、なんだか寂しいなあと思うのだ。