自主規制

小谷野さんが、小林よしのりのゴー宣が皇室ネタをあつかって落とされた時におまえらなんかいったのかと、マンガ規制反対派を挑発しているけれど、実はちゃんと「なんかいっ」ていたのだよね…。

「それ、うちで掲載させてください!」って。FAXが何通も小林の事務所に届いていたらしい。それを断ってのガロ持ち込みだったわけだ。

自主規制の定義についてやりあうつもりはないけど、規制があったことさえ読者につたえないのが自主規制だろう。

そういう意味でいったら、従来の出版や放送こそが、裏を知らせないという意味においては「エンターテインメント」で、小林のように裏をふくめてマンガにしてしまって読者に公表するやりかたは、じつはエンターテインメントの道を逸脱しているのだった。

エンターテインメントは「表現の自由」の表現とは、すこし距離があるだろう。表現というのは、ひとえに自分がそれをしたいかどうかにかかわるが、他人を楽しませることは、それができたか失敗したかを判断するのは、つねに事後のことになってしまうから。

エンターテインメントが、そのやりかたを、社会から規制されるのは、とても常識的でまっとうなことだ。だれだって、波長さえあえば、破壊的な内容で愉悦を感じて興ずることができる。私だってマンハッタン島の住人を皆殺しにするひとりよがりな内容の小説をブログにのっけたことがある。