江藤淳の「人間原理」

『自由と禁忌』のおわりのほうで、江藤淳安岡章太郎の『流離譚』と島崎藤村『夜明け前』を比較している。その前提として、それぞれの作者がともに同じくらいの年齢で仕事に着手し(五十代後半)、同じくらいの時間をかけて(5年ほど)、同じ時代をテーマに選んだ(幕末から明治にかけての先祖たちを描く)ことにふたつの作品の共通点を見ているのだが、そして両者の違いに敗戦と占領体験の有無を挙げているのだが、私はこれはなんとも無茶な組み合わせだと思うのである。江藤は敗戦と占領のことを特にいいたいがために作家ごとの個人差を無視しているのだ。戦争がなかったら安岡は『夜明け前』のような文体で自作を書いたとでもいうのだろうか。こんな発想こそ放恣な空想と断じるべきである。こういうのも「語るに落ちる」の範囲にはいるのではないか。