信夫の心は千々に乱れて

小島信夫の時代論や文学論は、彼のエピゴーネンである高橋源一郎保坂和志などがもう五十代をすぎて六十代に向かっている現在では、まじめに読むにはこちらのほうが飽きあきしてしまっているのだが、小島による先行作家の評伝やその作品にひきよせて自己を語ったエッセイは興味深い。『現代文学の進退』で草平や秋声、漱石から独歩について語っているのを読んでいるのだが、ぜんぶ女の話になってしまうのである。これはなんなのだろう。

秋声の項にいたっては、老いて妻と死別してから得た若い愛人をのろける秋声を読者に紹介した後で「こうしているうちに秋聲は、順子の側に立ち、内側から、めくるようにしてそれまでの自分を眺めることをおぼえたようにも思われる」(『現代文学の進退』157ページ)とまで書いて、ようするに先行作家の艶福をうらやんでいる(これを書く数年前に小島もまた妻と死別し次の年に再婚していた)。萌えるってまさにこのことだ。

新潮現代文学37の小島信夫集巻末にある年譜は「この年譜は編集部で作成し著者の校閲を得ました」というものなのだが、兄弟姉妹が死んだことをいちいち記し、昭和45年には「弟日出夫死去。肉親のすべてを失う」とあって、小島自身が書き込んだものとおぼしい。編集部がここまで踏み込んだことを書かないだろうと思うのである。