小林信彦のフロイトいらず

東京少年』の文庫版をのぞいたら巻末解説はまたもや坪内祐三で、坪内は小林著の解説になると小林への遠慮かなにかわからないがいつも文章の歯切れが悪いので、べつの人の感想文の方がいいのではないかと思うのだ。もっと饒舌にいろいろ書いてくれないかと思う。今回も『冬の神話』と『東京少年』との書誌比較と、縁故疎開と集団疎開の区別を坪内が知らなかった話で解説を切り上げていて、またもや食い足りない思いを抱くのだ。

坪内も触れていたように『東京少年』で目につくのは、軍の情報操作について、小説の早い段階で執筆時つまり現在における作者の考証がわりと長めに展開される箇所だろう。瀬島龍三の名前も見える。この考証が小説の結構を崩すことも作者の小林は読者にアナウンスしていて、この配慮が通常の小説作法とは反するのに、それでもなおやってしまう小林の心模様が面白いのである。端的にフィクションを持続させることを放棄しているわけで、なかなか自己分析的なふるまいだなあと思うのだ。あまり自己分析的だと小説から精神分析的な綾が失われてしまうが、小林信彦はそれこそ望むところであったろう。小林においては、「フィクション」であることは、おおくはパロディであり、言葉遊びであって、それを卒業した平成期の小林信彦の「小説」は、実は、その平明な文章から受けるイメージとはかけ離れた、異形のものなのであった。