高見浩訳トマス・ハリス著『ハンニバル』
面白いけど、なんだこれ。
アメリカのエンタメ小説の翻訳で「のである」という述語を見ると、まるで時代小説を読まされたみたいで調子が狂う。翻訳者の好みなのかもしれないが、著者もずいぶん読者の方に寄ってきているようで、なんだか「いつもと違う」。菊池光の言切り文体、「だった」「した」のほうがしっくりくるなあ。
「猥褻で俗悪なものに絶えずさらされた結果、大方の人間の神経が鈍麻してしまった現在、われわれの目にいまなお邪悪に映るものを確認しておくのは、無益なことではない。われわれの柔弱な意識のじめついた贅肉を激しく打って、いまも強い関心をかきたて得るものは何か?」つい長々と引用したが、なんだこれ。こんな文章は『羊』には無かったよなあ。
小林信彦は本作を評して、「西洋講談」。なるほどなあ。