簡略化の技術としての「絵心」

ということをここしばらく考えている。

自分の仕事について自分が理解しているのは当然だが、他人はそれを理解しているわけではない。だから説明ということをするわけだが、その余裕がないという状況もありうる。

そこで問われるのが、「絵心」の有無なのではないか。

同様に「歌心」ということも考えている。うまく歌うことではなく、自分の身の丈にあわせて自分の歌を繕うこと。その配慮のことをじつは歌心と昔の人は呼んだのではないか。餅は餅屋という考えは、俺は、好きではないねぇ。