鬱のいろいろ

私は自尊心も薄いが他人を尊敬することにも関心がないので、平然といろいろ言う。

鬱についての言説をあれこれ見ているのだが、これ、どうだろう、「人は(日本人は)自尊心はほどほどにして、他者への尊敬心は保たねばならない」という前提を手放さない人が、さらなる自尊心の逸失を迫られた時(身体的にも、精神的にも)に発病してしまう心の状態なのではなかろうか。

私は鬱って、なったことないし、正直なことを言ってしまえば、鬱になる人を「どんだけ自分をタイソーなものと考えていたんだ、この××」と思ってしまうタイプなのだ。メランコリーという言葉は最近は人気が落ちたようだけれども、憂鬱というのは、要するにナルシシズムでしょ、と思うのである。

自己がすなわち社会であるという「公然の秘密」に従えなくなったとき、その人には、社会の規範を無視するか、自己を社会から締め出すかのどちらかの道しかない。鬱は後者なのだろう。定「常」しているいくつかの知「識」から、自己を解放するわけである。