私は島田雅彦の愛読者だった

小谷野さんが『現代文学論争』で島田のデビュー作を貶していて、何をいいたいのかがわからないとまでいっているが、わからないもなにも、ああいう文章を表現したくて表現したのに決まっている、と思うのだ。

「生まれたときからテレビ漬け」の世代がはじめて本格的に口をききだした彼は端緒でもあった。

私は『天国が降ってくる』はとくに夢中になって読んだし、『彼岸先生』あたりまでは傑作だと思う。このブログも葦原真理男のしたことの範囲を1ミリも出てはいない。

すこし年長の世代の小林恭二が、1980年代は島田と伴走するかにみえて、のちにそうでなくなっていったことなども、まあ思い出深い。意外と「平成文学史」は悪くないものであったのかもしれない。