老人の心理学と、若い人へ

石原慎太郎の宗教観はあまり云々されなくて、『法華経に生きる』などに、宗教組織とのかかわりをみずから開けひろげに語っているので、嫌っている人も読めばいいと思うのだ。

石原の天皇崇拝への嫌悪というのも、人格神観念の否定という意味からいえば、ま、これはキリスト教嫌いのバリエーションなんですな。

私は私で若い人たちにイライラしていて、石原慎太郎を嫌うことでなにかを達成した気になっている、彼らの、そのお人好しなアルカイックな微笑が我慢ならないのだ。ならば小池晃都知事にしようとか、ワタミの社長(いま調べたらもう社長じゃないらしい)を都知事にしようとか運動すればいいではないか、いや、すべきではないかと思うのだ(現時点で違法なのかどうかよく知らない)。

自分がツイートするだけで、石原が自分の恥を感じて引退するとか考えているのならば、それは石原慎太郎以上の傲慢さなのだと、まずは反省するべきである。「じゃあ君は誰が都知事だったらいいと思うの?」