震災日記・特別版
あまり外に出ないで本を読んだりDVDを見ていたりしていただけなので、感想しか書くことがない。
有限責任と無限責任の違いというのを、ネットのさかんなバッシング記事を見て思うのである。
私も東京電力にあきれた口だが、結局は彼らも15年ほどまえのオウム真理教のようなものだと思うしかない。毒ガス(放射能)を散布して国民に健康リスクを与え、宗教用語と法律用語(科学的言説)で一般人を煙にまく。同じことをやっているのだと思うしかない。
それで、まるで佐藤優のような口調になってしまうが、私は東京電力にたいしては特に怒る気にならないのである。オウム真理教が名称を変えつつも解体されずにいまだにぐずぐずと活動しているように、東電も解散させられることはないんだろうな、とぼんやり思うだけである。
ネットの人はお人好しだから、自分の権限を明示することなく、社会的な存在である対象を無限に呪う。その人にとって、例えば東京電力は、有限責任存在なのではなく無限責任存在なのである。
相手を無限に呪うことの快感は、計り知れない。ぞんぶんに淫しているのだろう。
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『週刊プレイボーイ』に、ヒューザー事件のその後を追った記事が連載中で、ちょっと面白い。藤田東吾の思い込みによって、小嶋進悪役の構図がつくられていったのではないか、としている。
たしかに藤田氏は思い込みの激しそうな人物であることは、その著作の題名などからも察することができる。「月に響く笛」って、これだけでは何のことだかわからない。
ごくあたりまえのことから考えよう。ヒューザーはマンションの安売り戦略をとっていたわけだが、マンション業界全体としては、そういう存在をこころよく思うだろうか。ヒューザーが躓くことがあるのなら、それはそれで望ましいことではなかったのだろうか。