秋葉原通り魔事件の加藤智大は順法闘争をしなかった

私は身内に加藤の犠牲者がいなかったこともあって、わりと加藤には同情的である。自分は不幸だという自己認識をもつものが、あるいは表現活動などするもので、それは当人にとって癒しや薬になるものだが、加藤はいきなり劇薬を手にとってしまったわけだ。

過去には政治を理由にしたテロがあり(戦争)、貧困を理由としたテロがあり(略奪)、そして現代では自我の不安を理由としたテロが起ってしまったわけだ。政治犯は崇高で、「自我犯」は醜い。そんなことはないと思うのである。人殺しは人殺しだろう。

東京新聞には加藤の同僚だったひとの感想が載っていて(25日付22面)、消極的な助命嘆願をしていた。私はかえってこれに感動したのである。私がこの人の立場だったら、きっとノーコメントを貫いていただろうと思うから。