つよのあとさき(2)

 京王線のホームについてから列車は乗降口を閉じないまま地震のゆれを迎えていた。はじめ幾与志は地震に気づいてから向かいの窓のさきに見える団地の建物をぼんやり眺めていたが、激しはじめた震動に狼狽し、列車を出てホームに佇んだ。携帯電話で貴美恵に音声発信したが通じなかった。叫び声がそこここから聞こえはじめ、駅舎を構成する鉄骨や部材、ワイヤのきしむ音がそれに応えるかのようだった。がしがしがし、がしがしがし「地震だよ大丈夫?」幾与志は騒音のなかで貴美恵に短信メールを打った。そして「いまどこバイトだよね?」と二信目を送った。もうすこしでターミナル駅だったのだが、しかたがない。幾与志は歩いて目的地に向かうことにした。

 駅改札のまわりには、付近の住宅やビルから人が出て来て不安げな会話を交わしていた。ターミナル駅の一駅前だったので、幾与志と同じことを思った乗客たちが、ほつれがちな列を形作った。線路の途中で先行車輛が立ち往生していて、幾与志の歩く道からは車輛内の人々の様子はよくわからなかった。さきほどの団地のことをふと思い出して、幾与志はそこに目をやった。団地の屋上に貯水タンクがあって、それが地震の揺れにあわせて中の水を、ばしゃり、ばしゃりとこぼしていた。なにか違和感があって、ふと考え込んだ幾与志だったが、それは団地の公園にまったく人がいないための静寂だった。子供も老人もいなかった。午前中は晴天ともいえるくらいだった天候が、地震のあとでにわかに曇りはじめた。どす黒い雲が東京に降りてきた。

 幾与志はターミナル駅に着いてから、そのまま駅を通り越して音楽家を養成する専門学校へ向かった。幾与志はワークショップのアシスタントとして雇われていた。予想通りワークショップは中止となっていた。仕方がないと思いながら幾与志は自販機コーナーの片隅でクールライトと微糖のジョージアで一服しながら夜の予定を考えた。分煙室の窓越しに永井と大友の姿を認めて、強化樹脂の窓をこつこつと叩いた。永井たちは幾与志のことに気づかないまま玄関を出てしまった。幾与志はジョージアの缶に添付されていた数センチ角の販促情報が載ったシールを剥がし、分煙室のサッシのフレームの交点に貼付けた。幾与志のお気に入りの場所にはすでに6枚ほど、同じようなシールがはりつけられていた。

 こちこちと携帯電話をいじって、幾与志はツイッターでどうやら外の世界では大事がはじまっているらしいことを知った。分煙室のビニールのソファから首をのばして受付のほうを眺めたが、この階にはテレビがなくて、幾与志もとくにテレビを見たいとは思わなかった。東京は大丈夫だろうという気がしていて、それを疑う気もなかった。貴美恵との連絡がとれないことだけが気がかりだった。この時点で幾与志は揺れる高層ビルというものを見ていない。あいかわらず携帯は通じない。短信メールを打ってみたが「センター預かり」になってしまった。幾与志は貴美恵の部屋に行ってみるしかないかなと思いはじめた。表通りは車で渋滞していてタクシーには空車がなくなっていた。しかし金のない幾与志にはもともとタクシーを利用する心づもりはなかったので、震災初日に東京から空車のタクシーが払底したことなど、まったく関知しない話題だった。坂をのぼって歩道橋が見えてきたあたりで街灯が点灯した。もうすこし先にあるマクドナルドで軽食をとろうとした幾与志は、店内に客がすし詰めだったことに軽く驚いた。どのコンセントにも携帯電話の充電器のプラグが挿入されていた。湾岸地区から歩いてここまできた会社員らがいることに、幾与志はさらに驚いた。電車は、あのときから止まったままでいたらしいのだった。