斜め読み、流し読み、読んだふり

http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20110413

 眺めていてふとおもったのは、写本というのはもちろん西洋にもあっただろうけれども、気軽な読み物の写本というのは、西洋中世においてどのくらいに流布していたのだろうということ。

 宗教組織のなかで活発に行われていたであろうことは、映画の『薔薇の名前』なんかで観たとおりの感じだったのではないかと思ったりもする。

 日本は、万葉集で当時の自衛官までが書き物を遺している。そういうようなことは、西洋にもあったのだろうか。(追記。防人の歌というのは実は貴族が書いていたのだそうだ)

 話のうまいやつがいて、芸人として都市を渡り歩いていたんじゃないかと思うのである。日本の中世にも、いただろう。

 そういえば、ベストセラー作家の講演だって、ありゃ、もしかしたら「有名作家の本を読むかわり」なのかもしれないではないか。サインなんかもらって、棚に並べたベルリンの壁の破片のとなりに飾っちゃったりして。

 その作家が死ぬと、せっかく集めていた作家の著書をぜんぶ売るか捨てるかする人っていうのが、いますね。

 いくら江戸の庶民が、当時としては驚異的な識字率を誇っていたからといって、そうそう本なんか読んでいたとは思えない。テレビ番組の視聴率1パーセントは100万人だそうだが、全盛期の少年ジャンプだって600万部とかだろう。テレビのない江戸時代なら、酒場で馬鹿話をするか寄席にでも行っていたにちがいない。じつは今現在だって、口語が文語を圧倒しているわけである。

 わたしもかつて人並みに中二病を患っていたから、戦国大名の誰が一番強いかみたいなことを真剣に考える同級生をかげでは冷笑していたものだが、でも普通の人ってのは、こういうものである。わたしのほうがおかしかったのだ。

 スティーブン・キングが大衆小説かどうかは知らないが、キングや村上春樹の小説が、映画やら音楽やらの情報がなければ存在しえないことは確かである。ようするに評判という名の批評が入っているわけだ。こういうのは日本の場合は、江戸時代以前にはありえなかっただろう。案外西洋のほうが、遅れていたかもしれないのだ。サドが当時の商標を自分の小説に書き込んだりしなかっただろうかということをふと思う。

 つまり、書かれた文芸というのは、そういうしっぽを残すもの、そういうしっぽのほうこそを愛する少数者のものでしかないのではないか、という意識が私のなかにある。証言などというけれど、人の言葉に証となるようなものなどどこにもないよ、と思うのである。文章は、言葉ではなく、文字ではないかと思うのである。

 なんで人とお喋りするだけじゃダメなんだ、どうしても本でなければならない理由は何なのだ。こう自分に問うた時、あまりしっかりしたことを言えない自分に困ってしまうのである。