見たくないものを見なくなったら

 見たくないものを見なくなったら、見たくないものを見る余裕がその人物から失われたということなのだから、余裕のなくなった人物が余裕のなさからくるいらいらを他人にぶつけるようになるのは当然の話である。他人は「余裕」そのものなのだから。

 しみじみと思うのだが、経済が発展するというのは、みずからすすんで周囲の余裕を排除して、余裕がないのに自己が確立されていることを喜ぶ倒錯した快感でしかなかったのだなあ。十字軍にしろ、アメリカ開拓にしろ、白人がやっていたことって「余裕の消去」でしかなかったんだ。

 だからいっぺんアクシデントが起ると、経済人はなすすべがない。プロセスの一部でも、それが欠けたら全体が運営できない。そんな馬鹿な話がありますか? でも日本人は、明治以降、営々とそういうことをやりつづけていたんだねえ……。