日本文学史が特殊なものとは思えないのだが……

 『日文ナ』は、対小谷野論争の焦点の一つである、日本文学史の特殊性にさしかかった。第三章の途中あたり。

 ただまあ、これも私は思うのだが、鈴木の論は、ひらがなとカタカナが漢字とあまりにも見た目が乖離していることに論者が幻惑されたにすぎないのではないか、という気がするのである。記紀は日本語ではなく漢文で書かれておるのだぞ、といわれても、それはそうですけどねえ、しかし当時の日本人(あるいは渡来人か)が書いたものなのだから、日本文学に入れたって構わないでしょ、と思うのだ。

 そもそも、ヨーロッパ各国の、歴史の黎明期に、宗教の分野以外で、その国の人間がラテン語で書いた文章がどれだけ現存しているのだろう。そういうものが、たくさん残っていて、なおかつヨーロッパの各国の文学史から排除されているならば、そのことを指摘するのが先ではないか。

 たとえばウィキペディアのフランス文学の項目にある、『聖ユーラリーのセクエンツィア』とか『ローランの歌』とかが書かれた頃に、宗教の分野以外でフランス人が書いたラテン語の文書にはどのようなものがあったのか、ということ。

 いざそれを自覚する段階になったら、なかなか恥ずかしい気がしないでもないが、日本は古代においては中国にたいして、近代においては欧米にたいして、それぞれコンプレックスを感じながら自国文化を形成してきたのだから、あれやこれやの屈折があるのは当たり前である。